エドガー・ケイシー



―――――支え合うとはどういうことですか

 この人は、「イエスが」水をぶどう酒に変えられた、あの結婚式の花嫁だ……。
 心と体の合一を意味する結婚式が、この人にとって特別に大きな意味を持つのはこのだめだ。それでいて「結婚について」考えると、あれこれ迷いが生じてしまう。
 心の奥でよく理解しなさい。心と体が惹かれ合うとき、これは無目的なことではない。神の栄光が現されんがための、目的に溢れた経験なのである。結婚は恵みに満ちた機会である……。

 ケイシーのリーディングがいろいろな形で繰り返し語っているように、結婚は、魂の地上での経験を広げる機会をもたらします。
 心と体を本当の意味で一つにすることができたなら、そこには神の栄光が現れます。
 結婚とは、「水」に象徴される日常的な経験を、キリストの御霊の働きによって「ぶどう酒」に象徴される霊的成長に変えていく「器」になります。
 結婚は、私たちの人生にとって正当な経験なのです。

 人はこの夫婦のように、目的を一つにするように努めるべきだ。この夫婦はまことに目的と理想において一つである。何よりもこのことを大切にしなさい。
 共に成長し、霊性や霊的な事柄について、あるいは神や、神と人間との関係について、人間に対する神の願いと約束について、イエス・キリストが身をもって示された手本を通して、神が人に与えられた約束について、これらを共に学んで行きなさい。
 なぜなら、あなた方がこの地上で結んだ夫婦の関係にあるように、造り主ご自身の定め給うた理想は、二つのものが、その希望、その恐れ、その願い、その熱望において、一つのものとして現れることにあるからだ。
 これを実践しなさい。そして、あなた方は父と娘として、母と息子として、伴侶として、友人として、知人として、互いに相違点を持ち、またそれぞれが「仕返しの念」を抱えつつ、諸々の生涯を生きてきたのであるから、父がその娘に対して忍耐強くあることをあなた方が求めるように、あるいは母親がその息子に対して忍耐強くあることをあなた方が願うように、互いに忍耐し、寛容でありなさい。
 神の許より来て間もない魂を、この世に出現させる水路として、自らを準備することを願い求める伴侶として、互いに忍耐強く寛容でありなさい。この世における神の臨在、人間に対する神の顕現、命、肉体の結合によって創り出されるであろう命、これらが「結婚生活における」理想である。

 結婚について考えるうえで、もし結婚を実り豊かなものにしようと望むなら、単に肉体的な魅力だけで判断しないことだ。これらはすぐに色あせる。
 肉体的な相性よりも、霊的な理想、精神的な願望という角度から熟慮されるべきである。これらのことは、そのような関係を選択した場合に、その肉体がどのような経験をするか、また相手がどのような経験をするか、という点において分析されなければならない。
 というのは、こういった関係は、霊的・精神的関係から生まれる理想の代弁者であると同時に、人類という種を増やすという目的の代行者でもあるからだ。よろしいかな。

 もしこの物質世界での活動目的について二人の理想、願望が一致しているなら、これらの理想と願望が、調和に満ちた物質経験をもたらすであろう。彼らは彼ら自身のこの世的な苦難を幾度となくもたらすであろうが、もし二人の理想と目的が一致しているなら、目的を一つにするがゆえの強さがもたらされ、それが、それぞれの今回の人生において建設的な経験を築く。このことを強く確信することができるだろう。

 すべての魂には、同胞への奉仕において、互いを補い合う「助け手」が存在する。また互いを補い合うことを通して、喜びと平安と調和が見出される。

 それゆえあなた方が互いに奉仕するときは、常に助け手としてあれ。決して躓きの石となってはならない。
 相手の中にある長所を大きく見、欠点を小さく見よ。そうすれば、あなた方二人が協力して努力する中で示されていく真理をしっかりと育み、それらを教訓として、さらに強きものへと成長するだろう。それは、父なる神の栄光を讃え、あなた方の誉れを高めるものとなるだろう。

 二人の関係において、互いがますます補い合う者となるよう、常に努力せよ。そのようにすることで、より価値のある人生経験がそれぞれにもたらされる。そうすれば、目的を持って生きることの美しさ、正しく生きることの美しさ、忍耐と愛の美しさが、なおいっそう増し、それぞれの人生において、より麗しいもの、より価値あるものとなる。

Q.私たちの結婚生活を末永く充実したものにするには、私や妻は何をすればよいのでしょうか。私たちは互いにどのように助け合えばよいのでしょうか。
A.互いが相手に対して誓った約束を――――これは互いにとって、きわめて神聖なものであるはずだ――――お互いの関係の中で、最重要のものとすることだ。
 互いが自分自身に対して正直であること。なぜなら、これまでも述べて来たことだが、自分に正直である人は、相手に偽ることがないからである。
 お互いが結び合っていることを思い出し、互いの前に定められた目的、意図、信仰を守ることだ。どのようなことが起ころうとも、約束に真実であるならば、人生のいかなる浮き沈みにも揺るがない平安と満足がもたらされるだろう。

Q.結婚を末永く充実したものにするには、私はどのような努力をすればよいでしょうか。
A.結婚はお互いが五分ずつの責任を分担する共同事業である。このことを理解しなければならない。
 「結婚から何が得られるだろうか」という考えの上に結婚を築くのではなく、「結婚において、私は何を与えられるだろうか」という考えの上に築くことだ。

……精神的にも霊的にも、五分五分の協力をする気持ちがないなら、また、あなたがそのように考えられないなら、結婚は用心することだ。

Q.この二人はお互いに、心から愛し合っていますか。
A.今のところはそう言える。 二人は次のことを覚えておかなければならない。すなわち、愛は与えることであり、成長していくものである。愛は育まれるか、さもなければ萎れるものである。それぞれの側に、無私の気持ちが必要である。
覚えておくがよい。結婚のような、心と体と魂の結合は、決して自分の願望を満足させるためのものであってはならない。一つのものとなるためのものでなければならない。愛は成長し、愛は堪え忍び、愛は許し、愛は理解し、愛は他の人にとっては苦しみとなるものをチャンスに変えていく。
自分はただじっと座って、与えることのすべて、許すことのすべては相手がするものだと期待してはならない。むしろお互いが一つになることを求め、常に互いが相手を補い合うものとなることを目的としなければならない。
愛と愛着を混同してはならない。愛と情熱を混同してはならない。
愛は神に属するものである。愛は創造するものであり、愛は与え尽くすことである。
たとえ神があなたの内に御力を顕わそうとも、そこに忍耐が顕われていなければ、目を楽しませる美しさだけで、そこに魂の内奥に存在する願望や希望を成就させるものがなかったとしたら、いったい、その結果は如何ばかりであろう。

愛とは、自分の内にあるものを与えることである。